残暑厳しい中で、食べ物も少なく、
空襲の夜は電球も点けられず、
狭い防空壕に隠れて過ごした当時の人達は
本当にご苦労されたことと思う。
私が生まれるずーと前は、我家は都内にあった。
祖父は宮城県の出身で、生家が牛馬売買商「愛養舎」を
営んでいた関係で宮内省騎馬隊に勤めていたからだ。
その後、祖母と結婚し母が生まれた。
母は大正15年(昭和元年)生まれなので終戦当時は20歳
強烈に脳裏に残っていたのだろう。
東京は大空襲で火の海、
熱さに耐えかねた人達が隅田川で折り重なって死んでいた。
私達家族も必死になって逃れ、
やっとの思いで祖母の実家がある千葉にたどり着いた。
そりゃ大変な時代だった。と亡くなった母からよく聞かされた。
終戦記念日にあたり、家族の幸せと平和の大切さを思い知らされた。
孫ができたら「火垂るの墓」を見せてあげようと思っているんだけど…。
まだまだ先になりそうです。
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